|
|
写真がダゲールによって発明されたのは1839年。
安藤広重が「東海道五十三次」を書いていた江戸時代後半である。 しかし、もっと驚くのはその数年後には日本に写真術が伝えられたことである。 余談ではあるが、私が最初に白黒写真を見て感動したのは大学1年の時だった。 授業で観たエドワードウェストンの「ピーマン」だった。 何とも言えないしっとりとした黒から始まるディティール。正に宇宙といったフォルム。 それから、8×10カメラ(六切りネガの密着プリント)にはまったのである。 これを書き出すと際限ないので割愛するが、だから今でも白黒は手放せないのである。 東京オリンピックの頃には、白黒のネガプリントからカラーネガへと進化したのである。 ASA100から400と高感度へ進歩し暗い所でもストロボなしで撮影ができ、モータードライブで高速撮影。現在の人はモードラなんて知らない。フィルムは手で巻いたものだった。 ところが、10年位前からデジカメの時代に突入。 こんなモノ使えるか?と横目で眺めていたものの今じゃ暗室に入る事も殆どなし。 白黒のフィルムを現像すると水洗が終了するまで約1時間。それがない。 焼き込みなどテストプリントしてはやり直して一晩中。それがない。 鉛筆を針の先程細く削ってルーペで拡大ネガ修整。これがない。 「ある」事が当たり前のわたしに「ない」とはかなり不安なことである。 結局、今までの価値観や技術に思いすがっても何も生まれない。 写真も変化ならば自分も変化せずしてこの世界でシャッターを握り続けないのである。 デジタルになって、撮影者は自由も手にした。 こうなったら、もっと自由に発想して、楽しく創ればいいんじゃないか? 今の時代を「写真元禄時代」と言っていいだろう。 この変革はしばらく続くが、出し切った頃にまた銀塩写真の美しさを思い出すに違いない。
沖縄フリークともなれば、SSAとなる。「三線」「すば」と「泡盛」は欠かせない。
泡盛と言うとみなさん一様に「臭くてきついから」と敬遠する人が多い。 この泡盛の中に古酒(クース)なるものがあり、これは香りといい風味といい最高のものである。 意外と知られていないが、泡盛はタイ米から作られているということだ。 面白いことに、与論島以北の鹿児島県では黒糖が原料の黒糖焼酎となる。 この泡盛は、私の研究によればバリ島の酒アラックに非常に近い。 文化もしかりである。余談ではあるが、奄美などではサンシンと言わずジャミセンと言い、女性は唄者となりジャミセンは弾かない。酒と音楽も違うのである。 それにしても泡盛は、本島をはじめ各離島にも沢山の酒造所がある。 最近では内地でも泡盛の四合瓶が1.000円位で売られている。 あのラベルがまた楽しいのでる。漢字とローマ字が見事にチャンプルーされていて面白いし、必ずどこかにブルーが入っていて、あのコーラルリーフを思い出してしまう。 四合瓶のラベルを見ながらその奥に見えるコーラルリーフを思い出して一杯やるのである。 「お前は石垣か」「何?波照間から来たのかいお疲れさんでした」とか言ったりして。 しかしである、どれを飲んでも違いが分からないのである。これも四合瓶の不思議。 単に飲みすぎて分からないのか? 一昨年、沖縄へ撮影に行った時、ジョニー宜野湾のライヴを観ることができた。 海の近くにある公園の角にある喫茶店で行われた。 またいいんだこれが。フレンドリーで。あれから3回位ライヴに行ったが泡盛と最高に合う。 先日の新聞に面白い記事があった。 東大の売店に瑞泉酒造の泡盛「御酒」(うさき)がおいてあるそうである。 東大分子細胞生物学研究所に乾燥状態で眠っていた70年前の黒麹菌を使って作ったらしい。 戦争で各酒造所が爆破されて、各々の個性ある麹菌が全滅。戦後はどこの酒造所も同じ種麹会社の麹菌で作ったので皆同じ味になってしまたらしい。 それなら納得。私の利き酒感覚が鈍ったのではなかった。 是非とも飲んでみたいが、売店に行けば買えるものなのだろうか? 知っている人あれば教えて欲しい。 11月1日は「泡盛の日」だそうである。「いい月いい日」だからとか? そう言えばあったなぁ 山口百恵の「いい日旅立ち」。 ![]()
自慢じゃないけど小学校5年生から聞き始めて40年以上。
小学生の時、初めて聞いたのは「黒くぬれ」と言うハードな曲だった。 最初のドラムがえらくカッコ良かったのだ。そしてギターのフレーズ。 あんなの聞いたことなかった。日本にはそのようなジャンルもなかった。 エレキを聞いたり弾いたりする奴は不良と言われた時代だった。 ロックを聴くことが何だか罪悪感のようなものものを感じていて、レコードプレーヤーのボリュームを気持ち絞って聞いていた記憶がある。 当時、ビートルズも人気が高かったが私はどうも綺麗すぎるメロディーラインが苦手だった。 今、日本でもロックのようなものがあるが、あれはカタカナ歌謡曲である。 「俺はこれしか出来ない、これしかない」と言うのがホントのロッカーなのである。 別に器用でなくていい。むしろ不器用でいい。 注)日本でロッカーと言えば内田裕也ぐらいであろう。 そんな訳で、うちの子供たちには一切歌謡番組を見せなかった。 無論、大晦日は紅白も見せないで「ジャンピングジャックフラッシュ」だったのである。 今、子供たちは「自分の子供時代の歌を知らないのはおとうさんのせいだ」と言っている。 しかし、「こんな感動する曲を子供時分から聞けたのだから幸せと思え」と私は勝手に思っている。
私が初めて沖縄に行ったのは意外と最近です。
アメリカでのテロ事件があり、沖縄も攻撃の対象になるやも、と言う時期でした。 修学旅行の撮影が中止となり安く手に入れたチケットも水の泡。 いやァこんな時だからこそ行ってみようかと一人思い、出かけたのが全てきっかけでした。 台風接近で荒れた海でしたが、女神が微笑み見せてくれたのがこの風景でした。 ここは、今帰仁(なきじん)のグスク。那覇から北へ、本部半島にあるグスクです。 城跡など建物はありませんが、これがまた想像力をかきたてるのです。 どんな城があったのか? グスクとは何なのか? もう興味は尽きませんでした。 遠く見える海原のコーラルリーフ。今でも音が聞こえてきます。 ![]()
| ||||